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仕事のことや日々の出来事をいろいろ語ってまいります。なお、掲載記事は、著作権法の保護を受けており、無断転用、複製を禁じます。

 最近、神奈川県西部の温泉に車で出かけている。東名を使うことも246を使うこともあるが、いずれにしろ厚木付近で相模川を渡ることになり、一瞬その広々した川の風景を目の隅に捉えながらハンドルを切る。
 相模川は、その名の通り相模国を代表する川で、富士山麓の山中湖を水源として、山梨県から神奈川県にかけての山岳地帯を東流し、相模原市北西部で方向を南東に変え、厚木市からはまっすぐに南に向かい、平塚市、茅ヶ崎市で海に注ぐ。
 印象からすれば、首都圏近郊都市を縫うように流れる川でありながら、その流れと相模川をとりまく風景はとても豊かな自然に満ち溢れている。実際、上流部には神奈川県の水源である三保ダム、津久井ダム、城山ダムといった貯水池が連なり、美しい湖水を湛えている。流れは清流と呼ぶにふさわしく、とても澄んだきれいな水だ。

城山ダムの貯水池

 これほど上質な、豊かな水を擁する川で、すぐ近くに横浜、川崎およびその近郊都市といった巨大な都市部を控えた川もめずらしいだろう。京浜地区の発展に相模川が果たしてきた役割は非常に大きい。
 それまで自然の姿のままに、沿川の農業用水などに利用されてきた相模川の水は、明治20年にイギリスの技術者ヘンリー・スペンサー・パーマーの協力の下、日本初の近代水道として完成した横浜水道が相模川を水源としたことにより、近代日本の発展の一翼を担うことになった。その水質の良さは、当時の船乗りから「横浜の水は赤道を越えても腐らない」と言われたという逸話が残っているほどだ。
 横浜は開国の地でありわが国の「近代」が始まった地といえる。戦後の高度経済成長期には、京浜工業地帯が経済成長のまさしく牽引車だった。しかし、それを支えた相模川とその流域の文化は高度経済成長に流されること無く、昔のまま今に息づいている。丹沢山地の懐に抱かれたいくつもの温泉地は素朴なままで、猪や日本猿を庭で飼っていたかと思えば、宿の名物がボタン鍋だったりもする。川を横断して無数の鯉のぼりが泳ぐ相模川の鯉のぼりも有名だ。
 いつまでも相模川とその周辺の素朴な文化が残ってほしいと思うのは、贅沢だろうか。



 
# by kawatarow | 2007-11-07 01:06 | 川の話
今年9月6日~7日にかけて、関東地方を襲った台風9号によって、多摩川や荒川がはん濫の発生するおそれのある「はん濫危険水位」に達する事態となった。この時に、多摩川の河川敷に住んでいるホームレス40人が逃げ遅れて消防・警察等に救出される騒ぎとなった。
 しばらくの間、マスコミがこのことを取り上げて、解決策は無いにしろ、こういう問題がありますよということを世間にアピールした。多摩川を管理する国土交通省の現場の職員は、台風の接近前に何度もホームレスに対して警告を発していたし、このことをインタビューで当のホームレス本人も認めている。関係者はこの事態を前に懸命の対応をしたが、結果としてホームレス自身の危機意識の問題や、河原の青テントを放置すると他の人に取られても文句は言えないという、ホームレス社会(?)の慣行のために退去しなかったとの説もある。
 社会からはじき出され(あるいは自分からドロップアウトしてしまい)、公園や駅や歩道から行政に追い出されて行く場のなくなった彼らが、最終的に河川敷しか行く場がなかったということも河川敷のホームレスが一向に減らない背景としてあるようだ。
 毎日河川敷をパトロールしている国土交通省の職員が、彼らのひとりひとりに声をかけて、名前や年齢や健康状態をできるだけ把握し、居場所をきめこまかくチェックしていることは意外と知られていない。そうした関係者の努力にもかかわらず、なかなか解決しないことにいらだちも覚える。
 いずれにしろ、河川敷は洪水の際には水が流れる危険な空間で、住むべき場所ではない。
 自分たちの目に触れなければいい、公園や駅などから出て行ってくれればいい、という自治体や住民の態度は改め、河川敷に住んでいるホームレスを自立させることに皆で取り組まなければならない時期に来ている。

# by kawatarow | 2007-11-06 23:58 | 思うこと
北上川その源のかすかなる清水たうとび掌に掬ひたり
松田久恵「短歌研究2007年1月号」

 北上川は奥州第一の大河であり、岩手県をほぼ南北に縦貫して流れ、宮城県の北部で太平洋に注ぐ。広大な流域を擁し巨大な流れとなって広大な田園地帯を潤してきた。どんな川にも原初の一滴はあるが、大きな川となるとどの支流の一滴が源流といえるものなのか、ひとつに決めるのは難しい。
 北上川の源流は、岩手県岩手郡岩手町の弓弭の泉(ゆはずのいずみ)とされているが、松田さんがその掌に掬ったのがその泉の水であったかは定かではない。しかし、かすかに岩から伝い落ちる雫、あるいは湿地から滲みだすかすかな泉、それを尊いものとして手に受ける、その行為に川の、自然の恵みを大切に思う心があふれている。

 
# by kawatarow | 2007-11-05 03:05 | 川うた
 庄内川は、名古屋市の中心市街地を取り巻くように流れる川で、愛知県内の流域はほとんどが市街化されており、典型的な都市河川の様相を呈している。その流域の範囲は、岐阜県の南東部、愛知県の北東部まで広がっているが、これらの山々は全体としてはそれほど急峻ではなく、そのためか名古屋市の外延部として比較的開発が進んでいる流域でもある。
 尾張名古屋は、豊臣秀吉を輩出した地でもあり、徳川時代には徳川御三家のひとつ尾張徳川家が置かれた要衝の地だった。このような場合、為政者は城下町なら城下町を水害から守ることを最優先に治水政策を行う。
 平成12年9月に名古屋市を中心とする地域が東海豪雨と呼ばれる空前の豪雨によって、水浸しになった。その際には、庄内川に沿った地域はどこも水に浸かったが、特に庄内川の水があふれて庄内川と平行して走る新川に流れ込み、そもそもの新川の上流部から流れてきた水とあいまって、ついには新川の堤防が決壊した事件は、江戸時代の治水政策が現代にまで影響を及ぼしているいい例だ。

平成12年9月 東海豪雨の際の浸水状況

 新川という川は、その名の通り、江戸時代に開削された人工河川で、当時庄内川に流れ込んでいた多くの川の水を集めて、海へ流すことで庄内川の洪水、すなわち名古屋の水害を防ぐことが目的だった。そこで、さらに、庄内川の洪水の際には、洗堰と呼ばれる一部低くなっている箇所から、庄内川の水が新川に流れ込むような仕組みまで作られた。
 これでは、新川流域の住民にとってはたまったものではなく、現在の治水計画では、その低くなっている部分は高くしてある規模までの洪水は流れ込まないようにしているのだが、庄内川本川の治水対策がまだ不十分であることを理由に、締め切りはなされていない。
 川の上流と下流、右側と左側、時には別の川とのバランスを見ながら、綱渡りのような治水対策を行わなければならない。このような事例は至るところにある。

 治水のことばかり話してきたが、庄内川の上流部には他の川にはあまり見られない特徴がある。それは、陶磁器産業の存在だ。庄内川本川の上流には多治見市、土岐市、そして支川の矢田川の上流には瀬戸市があるが、いずれも良質の陶土を産出することから、陶磁器の街として発展してきた。そのために、川の水は白く濁っていることが多い。
 それでも、 その川の色は不自然な感じがせず、岐阜県と愛知県の県境には、岩肌が露出して美しい渓谷美を作り出しているが、川のやや白みがかった色も、自然に見える。その地形ときっても切れない地質が作り上げた陶磁器産業は、もとより庄内川の水に組み込まれていた事なのかも知れない。

庄内川の風景





# by kawatarow | 2007-11-04 01:51 | 川の話
 平成12年7月頃から、先に紹介した水防法の改正内容の検討と平行して、水防のありかたをめぐる様々な課題について、当時の建設省河川審議会で議論をしていくことになり、そのための手続きが進められた。
 法律の改正など新たに重要な政策を行うに際しては、専門家をまじえた審議会などの機関で議論をして、その政策にお墨付きを与えるということがしばしば行われる。これは、役所がお墨付きを得て、政策に正当性を与えることもあるが、いろいろな見方で政策の妥当性を確認するという点では意味のあることだ。ただし、役所が目指すところに反対の意見があった場合、その意見を除外せずきちんと取り上げることが前提だが。
 個別のテーマについて、河川審議会で直接審議を行うことはあまりなく、河川審議会の下部組織の位置づけで、部会や小委員会が設けられることが多く、この時も河川審議会の下にもともとあった「管理部会」のさらに下に「水災防止小委員会」が設置された。そのメンバーは以下の通りである。

「河川審議会管理部会水災防止小委員会」

委員長  松原 青美 (財)民間都市開発推進機構理事長  
委員    伊藤 和明 文教大学教授
専門委員 生田 長人 東北大学法学部教授
       今泉  晋 (財)日本建築防災協会専務理事
       重川希志依 富士常葉大学環境防災学部教授
       瀧澤 忠徳 前・消防庁次長
       立平 良三 (財)気象業務支援センター顧問
       西谷  剛 横浜国立大学大学院国際経済法学研究科教授
       廣井  脩 東京大学社会情報研究所長 教授
       藤森 英二 郡山市長
       松永 正光 淀川左岸水防事務組合収入役
       宮村  忠 関東学院大学工学部教授

 いろいろな選択肢はあったが、最終的に決まったこれらのメンバーによって、水防法の見直しを念頭に置いた、新たな水防のあり方について審議を行うこととなったのであり、当時の扇千景建設大臣名で諮問が発せられた。
 ちなみに、この小委員会に審議が付託された諮問の内容は次の通りである。これを読むと、きわめて漠然とした諮問内容となっていて、自由に議論していいのだが、かえって何をテーマと考えているのか、つかみにくいともいえる。
 実際、最終的な答申の中身は、極めて多岐に渡っていて、必ずしもその内容の全てが直ちに法制化されたり、政策に反映されたりというわけではない。これから数年後の法改正に結びついたものもあれば、未だに実現していないものもある。
 しかし、その後もこの答申が水防に関する唯一の答申であることから、非常に大きな意味をもったものだったといえよう。
 この審議と並行して、水防法改正に向けた事務的な作業が実質的にスタートすることとなる。

諮問事項「今後の水災防止の在り方について」

諮問の趣旨
(1)経緯
 最近では、治水事業の進展に伴い、多くの人命にかかわるような大規模な水害が減少してきたことから、洪水に対する国民の関心が低下しているといわれている。一方、水害に見舞われやすい地形条件を有する地域での人口・資産の集中、水害経験者の比率の減少と相まって、洪水による被害可能性が増大している。
 
 一方で、中小河川の氾濫や内水による人命・財産の喪失といった被害は後を絶たず、また、昨年6月に福岡で発生した地下街の浸水被害など新たな都市水害への対処が必要となっている。

 このため、災害情報の提供等の水災予防措置を充実するとともに、水防団員のサラリーマン化等に対応した水災防止活動の合理化を図る必要がある。

(2)諮問の趣旨
 洪水による被害を最小限に食い止めるとともに、中小河川の氾濫や新たな都市型水害など新たな水災防止上の課題に対処するため、災害情報の提供等の水災予防措置の充実とともに、水防団員のサラリーマン化等に対応した水災防止活動の合理化を図る必要がある。
 したがって、今後の水災防止の在り方について諮問するものである。
# by kawatarow | 2007-10-15 01:59 | 水害の話
水晶の枕のごとし峠より俯してわが見る伊豆の狩野川
与謝野晶子

 与謝野晶子については、説明は不要だろう。エロチックで奔放な浪漫派の女流歌人らしく、のびやかにかつ素直に旅先で出会った狩野川を歌っている。晶子は温泉の歌を多く詠んでおり、伊豆では湯ヶ島温泉、修善寺温泉、伊豆長岡温泉などで歌を残している。これもそのような旅の中でみつけた風景を歌ったに違いない。
 また、伊豆といえば、川端康成の「伊豆の踊子」が湯ヶ島で執筆されたことなど、文人にゆかりの地でもあり、鉄幹やその友人たちとの語らいのひとときであったかもしれない。
 狩野川は伊豆を代表する川で、伊豆半島の中央部から富士山麓、箱根一帯を流域にもつ。狩野川自体は水の澄んだ豊かな川でゆったりと蛇行して流れる姿がいい。その支流にも特徴があり、支流のひとつ柿田川は世にも清冽な湧水を水源とする川で、湧水はまさに宝石のような幻想的な青をたたえている。
 「水晶の枕」という表現は川の姿をこのうえなく美しく言葉にしている。狩野川のきらきらと光を返して流れる様を詠んだのだろうが、枕という言葉は、峠から臥して川を眺めたことから、枕という言葉を選んだのだろうか。旅先での歌ということを思えば、歌枕、あるいは草枕をも連想できて楽しい。

         
 
# by kawatarow | 2007-09-27 01:46 | 川うた
 資料をひもとくと、平成11年6月頃から、水防団、自治体、各地方建設局(現地方整備局)、水防行政の経験者など、実に多くの方々から、現在の水防法や水防活動についての課題、そして改善の方向性について意見を聴き、整理を行っている様子がよくわかる。
水防法の改正の内容は、そのようなヒアリングや当時の建設省内部での検討が進むにつれて少しずつ手が加えられているが、平成11年7月8日に取りまとめられた資料を以下に紹介する。

「水防法改正」
1.水防における責任・役割の明確化
(1)住民等の役割を明示
・水防計画に住民のとるべき措置等を明記。
・住民は、河川の巡視、堤防の点検等の水防活動への参加に努める。
(2)大河川氾濫時の氾濫流制御対策の立案、実施
・建設大臣は、利根川等国土保全上特に重要な河川の氾濫防止・氾濫流制御のために水防計画を作成し、実施。
(3)特定重要区間の水防活動に対する国の援助
・建設大臣は、特定重要区間に係る水防に際し、自衛隊に協力を求めることができる。

2.地域の水防能力の充実・強化
(1)企業、企業従事者の水防活動への参加
・市町村は、水防活動に関して、区域内の企業とあらかじめ協定することができる。
・企業は、水防活動に参加する従業員に対し職務専念義務を免除。

3.河川管理者の情報発達・伝達の強化
(1)中小河川の洪水予報
・都道府県知事に対し、大河川だけでなく中小河川での洪水情報を関係市町村及び一般住民へ周知することを義務化。
(2)水防警報の一般住民への周知
・国及び都道府県知事に対し、一般住民等への水防警報の周知を義務化。
(3)地下街管理者等への水位等河川情報の提供
・河川管理者に対し、指定地下街等管理者等への河川情報の通報を義務化。
・指定地下街等管理者に対し、地下街等利用者への避難のための立退き指示を義務化。
(4)水防活動従事者への教育機会の確保
・建設省に対し、水防団員への水防に関する教育訓練の受講機会の提供を義務化。

 このように、役割分担の明確化、国の関与の強化、情報提供の充実を通じて、水防活動のテコ入れを図ろうとするものとなっていることがわかるだろう。その背景には、水防団の団員数の減少、高齢化、サラリーマン化が進んでいることによる、地域の水防力の崩壊に対する危機感がある。
 さらに、それから1年近くが過ぎた平成12年6月にまとめられた資料を紹介する。これは必ずしも全てを水防法の改正によって実現しようとしているものではないが、水防体制を充実するためには、どういう施策が考えられるかを幅広く取り上げており、当時の議論の方向性がよくわかる。

「洪水に関する減災システム構築について」
0.水害防止のための河川の維持管理
1)水防管理者は水害防止の観点から、以下の河川の維持管理を行う。
・堤防、護岸、高水敷、低水路の巡視・点検。(平常時・出水時)
・堤防、護岸等の河川管理施設の維持修繕。
(除草や天端補修を想定。施設改築などの大規模なものを除く)
・河川管理施設の操作。(影響範囲が当該水防管理団体の地域に限る)
・その他、水害防止の観点から行う維持管理。
(堆積土砂の掘削、流木・ゴミ等の処理、不法係留船対策等)
2)水防管理者の維持管理計画の作成
・水防管理者は維持管理計画を作成し、あらかじめ河川管理者の承認を受ける。
3)水防管理者が行う維持管理に対する予算措置
・水防管理者が行う維持管理に対し、その費用を補助する。
4)河川の維持管理にかかる実績報告
・水防管理者は、実施した維持管理の内容について、河川管理者に対し、その実績を報告しなければならない。
5)河川管理者に対する意見具申
・水防管理者は、河川管理者に意見を言うことができる。
6)河川管理者の情報提供
・水防管理者が行う維持管理のため、河川管理者は必要な情報を提供する。
水位、流量、雨量等情報
河川管理施設等に関する情報

1.居住者・企業(雇用者)の水防活動への参加
1)自主防災組織における水害防止活動の実施
①自主防災組織の任務に水害防止活動を追加。
②水害防止活動を実施する自主防災組織を水防管理者に登録。
③水害防止活動を実施する自主防災組織に対し、水防管理者が水防用資機材を供与。
④水防管理者または水防団は必要に応じて自主防災組織に対し水防活動支援や避難活動支援を要請。
⑤要請に基づき行った行為に対し、災害補償制度を創設。
⑥自主防災組織のリーダー養成研修を実施。
2)企業内水防団の活用
①水防活動実施可能な企業を企業内水防組織として水防管理者が指定。
②水防活動を実施する必要がある場合、水防管理者が出動を要請。
③企業内水防組織を構成する者が水防団に合流し、水防活動を実施。
④水防団に合流する前後の災害補償制度を創設。

2.情報の収集と提供
1)水防団等に加え、異常発見者が市町村等に通報
2)ハザードマップ等の災害発生予測情報の提供義務を市町村に対し義務づけ
3)リアルタイム情報を含む各種情報を河川管理者が提供する旨位置づけ
4)水防団による住民への情報提供

3.立ち退き・避難
1)地下空間等公共的な空間の管理者に対し洪水等の情報を提供する
2)地下空間等公共的な空間の管理者はあらかじめ浸水等に対する立ち退き・避難計画を策定する
3)地下空間等公共的な空間の管理者が立ち退き指示を出せる体制とする
4)水防団による避難活動支援

4.広域水害防止体制
1)流域水害防止計画の策定
・河川管理者が水防管理者の協力を得て、流域水害防止計画を作成
2)国に水防活動に関する調整等を行う権能を付与
3)水防管理団体、都道府県に他の機関と相互協力をしなければならない旨規定
4)大型資材、機械力を使用した水防活動について河川管理者の役割を明記

 このように、自主防災組織の強化やハザードマップなどのソフト施策、広域的な水防体制など、当時の水防に関する課題のほとんど全てを網羅するようになっているが、議論のスタート台としては幅広くアイデアを出した上で、水防法の改正によって対応するものを絞り込んでいくのが普通の流れだろう。
 この、平成12年の6月頃から、水防法の見直しの議論が実質的にスタートしたといっていいだろう。
 「水防法」という言葉自体が古くさいでのはないか。リニューアルに際しては、実際に法律の名称を変えるかどうかはともかく、「水災防止法」というべき現代的な法律にしてほしい、というのが竹村局長からの指示であった。災害の「災」という文字は、火と水からなる文字であり、「火災」に対して「水災」がある。この「水災」という言葉を使っていくのは、新しい浸水被害防止対策を打ち出す上で、関係者の意識を変え、大きな助けになったように思う。

# by kawatarow | 2007-09-25 00:44 | 水害の話
 今回は珍しく、現存しない川のことに触れたい。
 それは、昭和30年代初頭まで、皇居の外濠と八丁堀を結ぶ川として存在した、京橋川である。
 京橋は東京駅にほど近く、付近には地下鉄銀座線の京橋駅や明治屋京橋店、ホテル西洋銀座などがあり、古き良き東京の面影をわずかながら留めている。
ホテル西洋銀座のすぐ脇には首都高速道路の高架が走っているが、この場所がまさに京橋川が流れていた場所だという。
 昭和30年代初頭、東京オリンピックのために、新幹線や高速道路の建設が急速にすすめられたが、とくに高速道路建設の用地は買収の必要のない川の上の空間が利用されることが多く、多くの川が流れていた東京の中心部では、京橋川だけではなく、箱崎川、楓川、築地川、汐留川などが次々と埋め立てられ、下水道となっていった。
 京橋川は、今ではわずかに親柱が高速道路の下、交番の脇に残っており、往時をしのばせている。
 道路を建設するために、川を埋め立てる、あるいは埋めないまでも川の上をほとんどふさぐように道路をつくる。第二次世界大戦後の復興期や高度経済成長期において、日本国民の精神がいかに貧しかったかを物語る事実のひとつではないか。
 埋め立てた川をもとに戻すことは至難の業であるし、その前提で出来上がっている街を再び改変することにそれほどの益があるとも思われないが、失われた川の記憶、多くの川によって構成されていた都市の記憶を引きつぎ、次世代に残していくことは大切と思う。

 
# by kawatarow | 2007-09-25 00:33 | 川の話
 先日の、中国への出張の際に、河南省鄭州市へ行ってきた。河南省という省名が示している通り、ここは黄河の南岸に位置する地域で、黄河によって形成され、灌漑用水や生活用水を黄河に頼っている。黄河といえば、世界の四大文明(と言われてきた。今では世界の発祥文明は数十あり四大文明というのは当たらないという説が有力だそうだが)のひとつ、黄河文明を生み出した大河である。
 大河とひとくちに言っても、黄河はスケールが違う。全長5400km以上あり、流域面積は約980,000km2で、日本の国土の3倍近くだ。中国の北部、モンゴルとの境から渤海湾まで紀元前から壮大な中国史の中心だった地域を懐に包み込んでいる。その広大さ長さはイメージすることすらできない。
 今回の鄭州市では、黄河から水を取っている地点、1か所だけを見ることができた。そして、なるほどと思ったのは、本当に黄河が作り上げた大地の色は黄色いということだ。都市部では土を目にすることはあまりないが、黄河に近づくにつれ、黄色い土からなる大地の様子が目に付いてきた。川辺に行ってみると、堤防の土は黄色っぽい土で、河水の色はというと、やはり黄色だ。この黄河の水には黄色の土の粒子が多く浮遊していて、取水したあと、この土の粒子を沈殿させてから浄水場に送るとのことだった。
 そして、その川幅だが、鄭州市付近ではおよそ5kmで、対岸の林がかすかにかすんで見えるくらい、広い。

黄河の堤防から下流を望む。遠くに見える岸辺の線は中州とのこと
 

黄河の堤防には、いくつもの突堤が作られている。洪水を対岸へ誘導する機能をもつ
 
 
突堤の上には、レンガ積みの台のような構造物がある。この役割については不明
遠くに見える線は中州だが、その向こうにかすかに対岸の林が見える 


黄河から、鄭州市の水道井用水として、1秒間に16m3の水を取水している。その水は、大掛かりなポンプ設備によって山の上に送水され、そこから水路によって運ばれる。

黄河の水を山の上に送るポンプ場。手前の噴水は井戸水であり、黄河の水ではない

くみ上げた水を送る水路。周辺は展望台と公園となっていて、風光明媚なところだ

山頂から黄河を望む。水が送られてくる水路などの施設が美しい様式美をかもし出す


 今回は、黄河のほんの一端に触れただけだが、偉大な中華文明を育んだ黄河とその流域を知るにはもっともっといろいろな地方に行き、地域と黄河の密接なつながりを知る必要があるだろう。
 黄河は聞くところによると、上流での莫大な取水によって、ときとして干上がってしまうことがあるという。また、黄河から流れ出て鄭州市などの都市部を流れる支流は、それらひとつひとつもそれなりの規模をもつ川だが、水質や水量の点ではきわめて劣悪な状況にあるという。
 怒涛のような近代化への流れの中で、偉大な文明を育ててきた黄河が、まさに死に瀕している。中国政府においても、これをなんとかしなければという思いは強く、様々なアクションを起こしている。人類の宝とも言うべき大河をどのようにして蘇らせるか、それは国際社会の責務だと思う。


# by kawatarow | 2007-09-24 00:56 | 川の話
 9月8日から13日まで中国へ出張に行ってきた。記憶の新しいうちにアップしたかったのだが、帰国してからは多忙を極めており、よやくパソコンを開くことができた。と、まずは言い訳をしておきたい。
 今回の出張は、おおよそ次のような行程だった。
9月8日 朝、成田発のJALで北京へ。北京空港でおよそ3時間のトランジットで国内線に乗り、河南省鄭州市へと向かう。その夜はそこで一泊。
9月9日 鄭州市の当局の人たちと、水管理について意見交換、その後、黄河から鄭州市が取水している地点を見て、次に豊楽農場というモデル農場を見る。豊楽農場は、農業試験場とスライダープールなどのレジャー施設があわせて作られている施設で、多くのレジャー客でにぎわっていた。
9月10日 再度鄭州市の当局と議論。日本側が鄭州市の合理的な水管理にどういう技術協力ができるか、意見交換。夕方には、再び国内線で北京へ、そこで一泊。
9月11日~13日は、もっぱら中国政府の担当者と、日本からの技術協力の内容について意見交換。
9月13日 夕刻、北京発のJALで帰国。

仕事の中身や黄河のことについては、別のコーナーで触れるとして、中国という国にはじめて行った感想めいたことなどをつらつらと述べてみたい。

 北京空港では、オリンピックを控えて空港の改良工事らしきものが行われていた。国際線と国内線の乗換えがかなり遠かったものの、国際線ターミナル、国内線ターミナル自体は、それほど広大なものではなく、比較的動きやすかった。以前、トランジットでしばらく滞在した、台北空港では食事場所が見つからずにかなり苦労した覚えがあるが、北京空港にはそれなりにレストランや喫茶店もあり、便利そうだった。そのときに時間つぶしに入ったのは、なんと上島珈琲という店で、コーヒーを頼んだのだが、大掛かりなサイホンの器具をテーブルの上に運んできて、淹れてくれた。コーヒーができると、タンクについている蛇口をひねって、カップに注ぐ。なかなかおつなものだ。

 中国への入国はちょっと拍子抜けするほどスムーズだった。通関では申告書をほとんど見る気もなさそうで、申告書など無くてもよさそうな気がした。入国手続きもちらっと顔を見て判子を押すだけ。日本へ帰国したときと同じような感覚だ。
 そういえば、国内線にのるため、ロビーでぼけっとしていたら、販売員らしい女性が来て、一生懸命中国語で話しかけてきた。中国人と日本人は一目ではわからないと思うので、無理もないのだろうが、しょうがないので「I’m japanese、so I don’t understand your language」と言ってあげたら、英語で話しかけてきた。
 どうも中国の宿やお店の紹介冊子を配って、名前や電話番号を聞き出そうという営業活動らしい。僕は旅行中だし、電話は持ってないよと言ったら、あきらめてくれたが、冊子は置いていってくれた。
 日本と中国の間には、戦後処理や靖国問題を含めていろいろ課題はあるが、ものすごく近い人種なのかなあ、と思えてくる。
 
 鄭州でも北京でも、中国側とともに会食をする機会が多かった。中華料理には地域によって、広東料理、四川料理などなどそれぞれ特徴があるが、鄭州や北京で食べたのはそういった分類でいうと何料理というのか定かではなかった。しかし、日本で食べる中華料理に比べると、比較的味は薄めで、素材をシンプルに蒸したり炒めたりしたものが多く、とても美味しかった。
 料理以外に印象的だったのは、お酒の飲み方に、ある程度のきちんとしたルールがあり、その場に同席した人々の立場にしたがって、礼節をわきまえつつ、お酒と食事を楽しむという精神が貫かれていることだ。中国というと、すぐ乾杯(カンペイ)が出てくるが、彼らは一同の誰かが乾杯の音頭をとる時以外は、決して杯に口をつけない。その間は、飲むヨーグルトやジュースなどを飲んでいる。
 乾杯については、最初にホスト役の人が口上を述べて発声をして全員で3杯飲む。次にホスト役の人から順次、まず自分が3杯乾杯してみせてから、順番に全員のところを回って、お酒を注ぎ(たいていはウエイトレスが付いて回って注ぐ)、乾杯を促す。時には一緒に乾杯をする。
そのうち、ゲストのほうも代表者が同じように全員を回る。そんな感じだ。
 ただし、乾杯というのはあくまでも一気飲みには違いなく、飲むお酒が紹興酒(14度くらい)ならいいが、白酒(パイチュウ、50度以上)となると、喉が焼けるほどきつい。弱い人ならぶったおれてしまう。もちろん、中国人も全員がお酒に強いわけではないので、飲めない人は飲まなくていい。そのような時は、弱い人が「随意(ズイイ)」と言うのだそうだ。
 それだけ乾杯をしても大丈夫なのは、ひとつには乾杯の時しか飲まない、というのが徹底しているからだろう。中国ではお酒を飲んで乱れるというのはもっとも軽蔑されるそうだ。あくまでお酒は礼儀正しい飲み物、社交道具なのだろう。日本のお酒文化は「無礼講」なので、そういう点でも違いがあって面白い。

 鄭州もそうだったが、北京などはいまや猛烈な勢いで成長を続ける、メトロポリスだ。近代的な超高層ビル、マンションがすさまじい勢いで林立している。もっとも、高層ビルの蔭で、古いアパートもたくさん残っていて、格差の広がりを感じさせられる面もある。
 一昔前は、通勤時刻には自転車の大群が道路を埋め尽くしている光景が報じられていたが、今では車がそれに代わっている。だから、中国の空はスモッグによっていつも黄色く汚れている。中国の環境汚染は深刻だ。都市部の大気もそうだが、川の汚れもひどく、都市部の川には生物がほとんどいないと言われている。
 しかし、こうした様子をみていると、日本がかつてたどった道と同じ道なのかもしれない。中国は現在、日本でいうところの高度経済成長期をバブル経済が同時に訪れた状況なのだという。バブルが崩壊したらどうなるか、恐ろしくもなるが、日本がかつてバブル崩壊、環境汚染の時期をなんとか乗り切って、経済も環境もずっとよくなってきたことを思うと、日本の失敗と成功の経験を教えてあげることはとても重要と思う。

 今回、中国の人たちとの会議で感じたのだが、彼らは公式な会議の時には、テーブルの上に果物やピーナッツなどのおつまみを出して、ボリボリやりながら会議をする。休憩時間になると、会議室の外にクッキーやケーキ、お茶を用意してあって、会議の中身についてそれぞれのグループで話をしながら、しばしおやつを楽しむ。こういうやりかたは生真面目な日本人には向かないかも知れないが、気持ちのゆとりは見習ってもいかも知れない。10分の休憩と言っているのに、20分たっても戻ってこない人が多いのには少々困ったものだが。 

鄭州市のホテルからみた街の様子。遠くに高層ビルが見える一方、手前には古いアパートが立ち並んでいる
 

同じく鄭州市の水利局からみた街の様子。こぎれいなマンションとふるいアパートが並んでいる
 
北京で車窓から見た近代的なオフィス


今回は会議が中心であまり面白いところへいけなかったが、それでも、特に海外については、頭で考えているのと実際に見るのとでは、随分違う。そういうことが感じられるのが、旅の醍醐味だろうと思う。


# by kawatarow | 2007-09-23 01:14 | 思うこと
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