仕事のことや日々の出来事をいろいろ語ってまいります。なお、掲載記事は、著作権法の保護を受けており、無断転用、複製を禁じます。


by kawatarow
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30

平成27年関東・東北水害

このブログでしばらく書いていました「水害の話」では、平成16年前後までの水害の状況をご紹介しながら、平成12年の水防法改正に至る経緯を説明説明する予定でした。さらには、平成15年に成立した都市水害を防止する新しい法律である「特定都市河川浸水被害対策法」についても触れる予定でした。

しかしながら、私がブログを中断している間も、全国各地で様々な水害が発生しました。記憶に新しいところでは、平成24年に発生した福岡県柳川市の矢部川における破堤や、平成26年に発生した広島市での大規模な土砂災害などがあり、特に広島市の土砂災害では74名もの尊い命が奪われました。
そして、最も記憶に新しいのは、今年9月9日から10日にかけて、関東、東北を襲った水害ではないかと思います。特に栃木県と茨城県を流れる鬼怒川が、茨城県常総市で決壊し、多くの方が氾濫水に流されたり、浸水した家屋に取り残されたりしました。
首都近郊での大規模な水害ということもあり、報道でも大きく取り上げられました。

こうした状況から、まずは、平成27年関東・東北水害について、その経緯や明らかになった課題、今後の対策について述べていきたいと思います。

その後、平成12年水防法改正や平成15年特定都市河川浸水被害対策法について触れていきたいと思います。

c0088123_21332849.jpg
c0088123_21334406.jpg


広範囲に浸水した常総市の様子。



[PR]
# by kawatarow | 2015-10-13 20:29 | 水害の話

災害に立ち向かうために

ご無沙汰しています。kawatarowです。
このところ、ずっと更新をサボっていましたが、再開します!(何度目や?)
何故なら、最近の災害の状況を見ると、災害に立ち向かうためには、知識や経験をもっともっと共有する必要があると思うからです。
私も災害対策に携わる者として、自身の経験も含め、災害に役立つ、災害を考える情報を提供していきたいと思います。
そのかたわら、川の話や、短歌や俳句、日々の想いも綴っていきたいと思います。

[PR]
# by kawatarow | 2015-10-06 12:58 | ご挨拶

川うた その23

五月雨をあつめてはやし最上川    松尾芭蕉

 山形の大河、最上川を詠んだこの句は、「奥の細道」に収められたもっとも有名な句のひとつである。
 最上川は、山形県南部、米沢市吾妻山に源を発し、米沢盆地、山形平野、庄内平野をへて、酒田市で日本海に流れ、まさに山形県のほぼすべてを流域とする。山形は最上川とともにあるといってよく、事実山形の農業や工業や舟運など人々の暮らしは、最上川の豊かな水とともにあった。
 私は、最近になってネット情報等で知ったのだが、もともとこの句が披露された句会では、「五月雨を集て涼し最上川」だったのだそうだ。梅雨の時期は湿度が高くて蒸し暑く、川面をわたる風が心地よいということがよく伝わる秀句と思うが、これを後に「はやし」と変えたことで、句の印象はがらりと変わった。
 梅雨の雨を集めて満々とたたえ、流速をあげて流れる最上川の力強さが全面に出ている。大河の激流はときに洪水となって村を襲う。そんな自然への畏怖が感じられる句となっている。
c0088123_724878.jpg

[PR]
# by kawatarow | 2012-06-10 07:03 | 川うた

川うた その22

初景色野川一本光り出す     中村明子

 ここに出てくる「野川」は実際に存在する野川をさすのか、野を流れる川をさすのか定かではない。しかし、どちらに読んでもまた異なる味わいがある。
実在の「野川」は多摩川の支川で東京都を流れる一級河川である。もともとは多摩川の古代の河道だったというが、武蔵野台地に崖を刻んでのんびりとした風景の中を流れていたものであろう。今では開発されつくした住宅地や商工業地の中をぬって流れているが、それでも都内にしては豊かな自然を残した川である。
 元日に初詣の帰りでもあろうか、ふと眺めると見慣れた野川の風景なのだが、全く新しい景色をみたように、光り出すのである。
c0088123_784960.jpg

[PR]
# by kawatarow | 2012-06-04 07:09 | 川うた
「Riverside_Embassy」の投稿をしなくなって、5年位になるでしょうか。もし、ときどき覗いてくださった方がいらしたら、大変申し訳なく思います。
その間・・・中国は北京へ3年間赴任しておりました。日本へ戻ってからも1年近くになります。中国ではexciteブログが使えないということもあって、中断したとう事情もありますが、それはまあ言い訳にしかすぎず、ブログの投稿を続けるのがしんどかったんです。
今は、日本でまた川に関わる仕事をしています。最近は、ブログをまた始めようという意欲も湧いてきました。
中国でいろいろ経験したこと(もちろん川に関することも含めて)、日本で関わっている川の話、これまでの短歌に加えて、北京滞在時に始めた俳句も含めて、いろいろと語っていきたいと思います。
もし、見てくださるかたがいらっしゃったら、感謝申し上げます。
[PR]
# by kawatarow | 2012-06-04 00:26 | 思うこと

相模川

 最近、神奈川県西部の温泉に車で出かけている。東名を使うことも246を使うこともあるが、いずれにしろ厚木付近で相模川を渡ることになり、一瞬その広々した川の風景を目の隅に捉えながらハンドルを切る。
 相模川は、その名の通り相模国を代表する川で、富士山麓の山中湖を水源として、山梨県から神奈川県にかけての山岳地帯を東流し、相模原市北西部で方向を南東に変え、厚木市からはまっすぐに南に向かい、平塚市、茅ヶ崎市で海に注ぐ。
 印象からすれば、首都圏近郊都市を縫うように流れる川でありながら、その流れと相模川をとりまく風景はとても豊かな自然に満ち溢れている。実際、上流部には神奈川県の水源である三保ダム、津久井ダム、城山ダムといった貯水池が連なり、美しい湖水を湛えている。流れは清流と呼ぶにふさわしく、とても澄んだきれいな水だ。

城山ダムの貯水池
c0088123_0573888.jpg

 これほど上質な、豊かな水を擁する川で、すぐ近くに横浜、川崎およびその近郊都市といった巨大な都市部を控えた川もめずらしいだろう。京浜地区の発展に相模川が果たしてきた役割は非常に大きい。
 それまで自然の姿のままに、沿川の農業用水などに利用されてきた相模川の水は、明治20年にイギリスの技術者ヘンリー・スペンサー・パーマーの協力の下、日本初の近代水道として完成した横浜水道が相模川を水源としたことにより、近代日本の発展の一翼を担うことになった。その水質の良さは、当時の船乗りから「横浜の水は赤道を越えても腐らない」と言われたという逸話が残っているほどだ。
 横浜は開国の地でありわが国の「近代」が始まった地といえる。戦後の高度経済成長期には、京浜工業地帯が経済成長のまさしく牽引車だった。しかし、それを支えた相模川とその流域の文化は高度経済成長に流されること無く、昔のまま今に息づいている。丹沢山地の懐に抱かれたいくつもの温泉地は素朴なままで、猪や日本猿を庭で飼っていたかと思えば、宿の名物がボタン鍋だったりもする。川を横断して無数の鯉のぼりが泳ぐ相模川の鯉のぼりも有名だ。
 いつまでも相模川とその周辺の素朴な文化が残ってほしいと思うのは、贅沢だろうか。

c0088123_153561.jpg


 
[PR]
# by kawatarow | 2007-11-07 01:06 | 川の話

河川敷のホームレス

今年9月6日~7日にかけて、関東地方を襲った台風9号によって、多摩川や荒川がはん濫の発生するおそれのある「はん濫危険水位」に達する事態となった。この時に、多摩川の河川敷に住んでいるホームレス40人が逃げ遅れて消防・警察等に救出される騒ぎとなった。
 しばらくの間、マスコミがこのことを取り上げて、解決策は無いにしろ、こういう問題がありますよということを世間にアピールした。多摩川を管理する国土交通省の現場の職員は、台風の接近前に何度もホームレスに対して警告を発していたし、このことをインタビューで当のホームレス本人も認めている。関係者はこの事態を前に懸命の対応をしたが、結果としてホームレス自身の危機意識の問題や、河原の青テントを放置すると他の人に取られても文句は言えないという、ホームレス社会(?)の慣行のために退去しなかったとの説もある。
 社会からはじき出され(あるいは自分からドロップアウトしてしまい)、公園や駅や歩道から行政に追い出されて行く場のなくなった彼らが、最終的に河川敷しか行く場がなかったということも河川敷のホームレスが一向に減らない背景としてあるようだ。
 毎日河川敷をパトロールしている国土交通省の職員が、彼らのひとりひとりに声をかけて、名前や年齢や健康状態をできるだけ把握し、居場所をきめこまかくチェックしていることは意外と知られていない。そうした関係者の努力にもかかわらず、なかなか解決しないことにいらだちも覚える。
 いずれにしろ、河川敷は洪水の際には水が流れる危険な空間で、住むべき場所ではない。
 自分たちの目に触れなければいい、公園や駅などから出て行ってくれればいい、という自治体や住民の態度は改め、河川敷に住んでいるホームレスを自立させることに皆で取り組まなければならない時期に来ている。

c0088123_23573599.jpg

[PR]
# by kawatarow | 2007-11-06 23:58 | 思うこと

川うた その21

北上川その源のかすかなる清水たうとび掌に掬ひたり
松田久恵「短歌研究2007年1月号」

 北上川は奥州第一の大河であり、岩手県をほぼ南北に縦貫して流れ、宮城県の北部で太平洋に注ぐ。広大な流域を擁し巨大な流れとなって広大な田園地帯を潤してきた。どんな川にも原初の一滴はあるが、大きな川となるとどの支流の一滴が源流といえるものなのか、ひとつに決めるのは難しい。
 北上川の源流は、岩手県岩手郡岩手町の弓弭の泉(ゆはずのいずみ)とされているが、松田さんがその掌に掬ったのがその泉の水であったかは定かではない。しかし、かすかに岩から伝い落ちる雫、あるいは湿地から滲みだすかすかな泉、それを尊いものとして手に受ける、その行為に川の、自然の恵みを大切に思う心があふれている。

c0088123_343492.jpg
 
[PR]
# by kawatarow | 2007-11-05 03:05 | 川うた

庄内川

 庄内川は、名古屋市の中心市街地を取り巻くように流れる川で、愛知県内の流域はほとんどが市街化されており、典型的な都市河川の様相を呈している。その流域の範囲は、岐阜県の南東部、愛知県の北東部まで広がっているが、これらの山々は全体としてはそれほど急峻ではなく、そのためか名古屋市の外延部として比較的開発が進んでいる流域でもある。
 尾張名古屋は、豊臣秀吉を輩出した地でもあり、徳川時代には徳川御三家のひとつ尾張徳川家が置かれた要衝の地だった。このような場合、為政者は城下町なら城下町を水害から守ることを最優先に治水政策を行う。
 平成12年9月に名古屋市を中心とする地域が東海豪雨と呼ばれる空前の豪雨によって、水浸しになった。その際には、庄内川に沿った地域はどこも水に浸かったが、特に庄内川の水があふれて庄内川と平行して走る新川に流れ込み、そもそもの新川の上流部から流れてきた水とあいまって、ついには新川の堤防が決壊した事件は、江戸時代の治水政策が現代にまで影響を及ぼしているいい例だ。

平成12年9月 東海豪雨の際の浸水状況
c0088123_1504888.jpg

 新川という川は、その名の通り、江戸時代に開削された人工河川で、当時庄内川に流れ込んでいた多くの川の水を集めて、海へ流すことで庄内川の洪水、すなわち名古屋の水害を防ぐことが目的だった。そこで、さらに、庄内川の洪水の際には、洗堰と呼ばれる一部低くなっている箇所から、庄内川の水が新川に流れ込むような仕組みまで作られた。
 これでは、新川流域の住民にとってはたまったものではなく、現在の治水計画では、その低くなっている部分は高くしてある規模までの洪水は流れ込まないようにしているのだが、庄内川本川の治水対策がまだ不十分であることを理由に、締め切りはなされていない。
 川の上流と下流、右側と左側、時には別の川とのバランスを見ながら、綱渡りのような治水対策を行わなければならない。このような事例は至るところにある。

 治水のことばかり話してきたが、庄内川の上流部には他の川にはあまり見られない特徴がある。それは、陶磁器産業の存在だ。庄内川本川の上流には多治見市、土岐市、そして支川の矢田川の上流には瀬戸市があるが、いずれも良質の陶土を産出することから、陶磁器の街として発展してきた。そのために、川の水は白く濁っていることが多い。
 それでも、 その川の色は不自然な感じがせず、岐阜県と愛知県の県境には、岩肌が露出して美しい渓谷美を作り出しているが、川のやや白みがかった色も、自然に見える。その地形ときっても切れない地質が作り上げた陶磁器産業は、もとより庄内川の水に組み込まれていた事なのかも知れない。

庄内川の風景
c0088123_1473564.jpg
c0088123_1475819.jpg
c0088123_1481743.jpg

[PR]
# by kawatarow | 2007-11-04 01:51 | 川の話

水災防止小委員会

 平成12年7月頃から、先に紹介した水防法の改正内容の検討と平行して、水防のありかたをめぐる様々な課題について、当時の建設省河川審議会で議論をしていくことになり、そのための手続きが進められた。
 法律の改正など新たに重要な政策を行うに際しては、専門家をまじえた審議会などの機関で議論をして、その政策にお墨付きを与えるということがしばしば行われる。これは、役所がお墨付きを得て、政策に正当性を与えることもあるが、いろいろな見方で政策の妥当性を確認するという点では意味のあることだ。ただし、役所が目指すところに反対の意見があった場合、その意見を除外せずきちんと取り上げることが前提だが。
 個別のテーマについて、河川審議会で直接審議を行うことはあまりなく、河川審議会の下部組織の位置づけで、部会や小委員会が設けられることが多く、この時も河川審議会の下にもともとあった「管理部会」のさらに下に「水災防止小委員会」が設置された。そのメンバーは以下の通りである。

「河川審議会管理部会水災防止小委員会」

委員長  松原 青美 (財)民間都市開発推進機構理事長  
委員    伊藤 和明 文教大学教授
専門委員 生田 長人 東北大学法学部教授
       今泉  晋 (財)日本建築防災協会専務理事
       重川希志依 富士常葉大学環境防災学部教授
       瀧澤 忠徳 前・消防庁次長
       立平 良三 (財)気象業務支援センター顧問
       西谷  剛 横浜国立大学大学院国際経済法学研究科教授
       廣井  脩 東京大学社会情報研究所長 教授
       藤森 英二 郡山市長
       松永 正光 淀川左岸水防事務組合収入役
       宮村  忠 関東学院大学工学部教授

 いろいろな選択肢はあったが、最終的に決まったこれらのメンバーによって、水防法の見直しを念頭に置いた、新たな水防のあり方について審議を行うこととなったのであり、当時の扇千景建設大臣名で諮問が発せられた。
 ちなみに、この小委員会に審議が付託された諮問の内容は次の通りである。これを読むと、きわめて漠然とした諮問内容となっていて、自由に議論していいのだが、かえって何をテーマと考えているのか、つかみにくいともいえる。
 実際、最終的な答申の中身は、極めて多岐に渡っていて、必ずしもその内容の全てが直ちに法制化されたり、政策に反映されたりというわけではない。これから数年後の法改正に結びついたものもあれば、未だに実現していないものもある。
 しかし、その後もこの答申が水防に関する唯一の答申であることから、非常に大きな意味をもったものだったといえよう。
 この審議と並行して、水防法改正に向けた事務的な作業が実質的にスタートすることとなる。

諮問事項「今後の水災防止の在り方について」

諮問の趣旨
(1)経緯
 最近では、治水事業の進展に伴い、多くの人命にかかわるような大規模な水害が減少してきたことから、洪水に対する国民の関心が低下しているといわれている。一方、水害に見舞われやすい地形条件を有する地域での人口・資産の集中、水害経験者の比率の減少と相まって、洪水による被害可能性が増大している。
 
 一方で、中小河川の氾濫や内水による人命・財産の喪失といった被害は後を絶たず、また、昨年6月に福岡で発生した地下街の浸水被害など新たな都市水害への対処が必要となっている。

 このため、災害情報の提供等の水災予防措置を充実するとともに、水防団員のサラリーマン化等に対応した水災防止活動の合理化を図る必要がある。

(2)諮問の趣旨
 洪水による被害を最小限に食い止めるとともに、中小河川の氾濫や新たな都市型水害など新たな水災防止上の課題に対処するため、災害情報の提供等の水災予防措置の充実とともに、水防団員のサラリーマン化等に対応した水災防止活動の合理化を図る必要がある。
 したがって、今後の水災防止の在り方について諮問するものである。
[PR]
# by kawatarow | 2007-10-15 01:59 | 水害の話