最近、神奈川県西部の温泉に車で出かけている。東名を使うことも246を使うこともあるが、いずれにしろ厚木付近で相模川を渡ることになり、一瞬その広々した川の風景を目の隅に捉えながらハンドルを切る。
相模川は、その名の通り相模国を代表する川で、富士山麓の山中湖を水源として、山梨県から神奈川県にかけての山岳地帯を東流し、相模原市北西部で方向を南東に変え、厚木市からはまっすぐに南に向かい、平塚市、茅ヶ崎市で海に注ぐ。
印象からすれば、首都圏近郊都市を縫うように流れる川でありながら、その流れと相模川をとりまく風景はとても豊かな自然に満ち溢れている。実際、上流部には神奈川県の水源である三保ダム、津久井ダム、城山ダムといった貯水池が連なり、美しい湖水を湛えている。流れは清流と呼ぶにふさわしく、とても澄んだきれいな水だ。
城山ダムの貯水池

これほど上質な、豊かな水を擁する川で、すぐ近くに横浜、川崎およびその近郊都市といった巨大な都市部を控えた川もめずらしいだろう。京浜地区の発展に相模川が果たしてきた役割は非常に大きい。
それまで自然の姿のままに、沿川の農業用水などに利用されてきた相模川の水は、明治20年にイギリスの技術者ヘンリー・スペンサー・パーマーの協力の下、日本初の近代水道として完成した横浜水道が相模川を水源としたことにより、近代日本の発展の一翼を担うことになった。その水質の良さは、当時の船乗りから「横浜の水は赤道を越えても腐らない」と言われたという逸話が残っているほどだ。
横浜は開国の地でありわが国の「近代」が始まった地といえる。戦後の高度経済成長期には、京浜工業地帯が経済成長のまさしく牽引車だった。しかし、それを支えた相模川とその流域の文化は高度経済成長に流されること無く、昔のまま今に息づいている。丹沢山地の懐に抱かれたいくつもの温泉地は素朴なままで、猪や日本猿を庭で飼っていたかと思えば、宿の名物がボタン鍋だったりもする。川を横断して無数の鯉のぼりが泳ぐ相模川の鯉のぼりも有名だ。
いつまでも相模川とその周辺の素朴な文化が残ってほしいと思うのは、贅沢だろうか。

相模川は、その名の通り相模国を代表する川で、富士山麓の山中湖を水源として、山梨県から神奈川県にかけての山岳地帯を東流し、相模原市北西部で方向を南東に変え、厚木市からはまっすぐに南に向かい、平塚市、茅ヶ崎市で海に注ぐ。
印象からすれば、首都圏近郊都市を縫うように流れる川でありながら、その流れと相模川をとりまく風景はとても豊かな自然に満ち溢れている。実際、上流部には神奈川県の水源である三保ダム、津久井ダム、城山ダムといった貯水池が連なり、美しい湖水を湛えている。流れは清流と呼ぶにふさわしく、とても澄んだきれいな水だ。
城山ダムの貯水池

これほど上質な、豊かな水を擁する川で、すぐ近くに横浜、川崎およびその近郊都市といった巨大な都市部を控えた川もめずらしいだろう。京浜地区の発展に相模川が果たしてきた役割は非常に大きい。
それまで自然の姿のままに、沿川の農業用水などに利用されてきた相模川の水は、明治20年にイギリスの技術者ヘンリー・スペンサー・パーマーの協力の下、日本初の近代水道として完成した横浜水道が相模川を水源としたことにより、近代日本の発展の一翼を担うことになった。その水質の良さは、当時の船乗りから「横浜の水は赤道を越えても腐らない」と言われたという逸話が残っているほどだ。
横浜は開国の地でありわが国の「近代」が始まった地といえる。戦後の高度経済成長期には、京浜工業地帯が経済成長のまさしく牽引車だった。しかし、それを支えた相模川とその流域の文化は高度経済成長に流されること無く、昔のまま今に息づいている。丹沢山地の懐に抱かれたいくつもの温泉地は素朴なままで、猪や日本猿を庭で飼っていたかと思えば、宿の名物がボタン鍋だったりもする。川を横断して無数の鯉のぼりが泳ぐ相模川の鯉のぼりも有名だ。
いつまでも相模川とその周辺の素朴な文化が残ってほしいと思うのは、贅沢だろうか。




















